ある人の想いに打たれました……
詳しくは編集後記で。
人生を変えたかったら
人間関係をすべて切れ!
あなたはこのような話、
聞いたことがありませんか?
よく成功者や、
成功法則を教える講師の記事や本を読むと
書いてあることです。
もちろん、
「 人間関係を切れ!」
みたいな
直接的な表現は少ないです。
実際は、もっとやんわりと、
「付き合う人で人生は決まります」
「環境で人生が変わります」
「まわりにいる人5人の
平均年収があなたの収入です」
このようなな表現で
表されることが多いです。
ですが、オブラートに
包まずに表現すると
「人生変えたかったから
必要ない人間関係は切れ!」
「自分が実現したい人生を
実現できている人と”だけ”時間を過ごせ!」
そういうことになるでしょう
直接的には。
あなたはどう思いますか?
「いやー、私も100%同感です!」
「頭では分かっているけど、
そんなことできません!」
「今の人間関係を切ってまで
実現したい人生なんて有りません!」
「そんなの何の根拠があるんですか?
今の人間関係は大事にしながら
私は大成功してやります!」
「もともと私、孤独ですから……」
いろんな思いや
意見があると思います。
そして、この議論には
私なりの答えがあります。
それは、
自分の人生において
得たいゴールにつながる人たちと
つながっていこうと言う事
それを実現できるのであれば
それまでの人間関係を切る必要ないですし
必要あれば切ってもいいかもしれません。
というより、
必要な人間関係ができるとたいていは
不必要な人間関係は
自然に少なくなっていきます。
あなたは
似たようなご経験はありませんか?
私自身も似たような
経験があります。
特に覚えているのが、
12年ほど前の話。
1番初めに、会社員をやめて
独立した頃です。
その頃私は、割と名がしれた大学の
職員として働いていました。
そこでは、当時、退職をする
職員は非常に珍しかったのです。
とても、労働条件が
良かったからです。
20代で年収600万円もらえて、
9時-17時であがれる職場でしたから。
福利厚生もとても素晴らしくて
女性も働きやすい職場でした。
ちょっと、
うらやましくありませんか?
だからたいていは
いちど勤めたら
定年まで働く人がほとんどです。
ましてや、
「起業したいから辞める」
なんて言う人は、おそらく
歴史上にいなかったのではないでしょうか……
というくらい
私は珍しい存在でした。
大学職員時代は
上司や同僚、後輩たちには
本当に仲良くしていただきました。
とても働きやすい
職場だったと思います。
端から見ると理想的な
職場だったのでしょう。
ところが……
いちど独立をしてからは
当時の職場の人とは
付き合う事はまったく
なくなりました。
いちどだけ同期の
結婚式に呼ばれたくらいです。
あとは、私自身が今でも
当時勤めていた
大学の近くに住んでいます。
そういうわけで、
たまに道で昔の同僚に
偶然会うことがあるくらいです。
交流と言う交流は
ほとんどありません。
これは、
私が新しい世界の人たちとの
交流を深めていったためです。
自然に古いつながりは
薄くなっていったんですね。
ただ、
同じような価値観を
持っているなら、
またどこかで交わる事はある
と思います。
あなたは同窓会って
参加したことがありますか?
私はあります。
2年ほど前。
高校時代のバンドメンバーと
久しぶりに飲みに行くことに
なったんです。
会場につく前、
私は少し憂鬱でした。
なぜなら、私以外は2人とも
会社員だったからです。
しかも、自分でビジネスをやるなんて
考えもしないようなタイプだと
思ったからです。
「どうせ2人と私は価値観も随分違うし、
きっと話も合わないんだろうなぁ……」
そんな風に思いながら
会場に向かっていました。
ところが、
いざ話し始めると……
私の方が刺激を受けて
とても有意義な時間を
過ごすことができました
高校時代ギターをやっていた友人は
上京してからプロを目指し、
しばらくは、バンド活動をやっていました。
一時期は映画音楽を作るなど、
音楽でお金をもらうことが
でき始めていました。
しかし、彼は30才近くになってから
結婚することになりました。
すると、いよいよ音楽では
生活が簡単ではなくなってきたのです。
そして、結婚を機に、
それまでのアルバイトと
音楽活動の生活を卒業しました。
そして、彼はまったく不慣れな
システムエンジニアの
業界に転職をしました……
あなただったら、
どう感じると思いますか?
それまで音楽漬けで、
1度も就職したこともなかったのです。
ましてやシステムのことなど、
ちんぷんかんぷんです。
しかも、30才近くになってから
それらに取り込むわけです。
普通なら、 使い物にならなくて
すぐに転職をしたり、
またアルバイトに戻ったり、
ということが起こりそうです。
しかしながら、、、
彼はそこで頭角を現しました。
一生懸命勉強して、
もともと持っていた
コミニケーション能力を生かしました。
どちらかと言うとシステムエンジニアの中でも
営業職よりの仕事を任され、
やがて認められていきました。
そして35歳になったあたりでは
マネージャーを任せられ、
システム系の資格をバンバンとりはじめました。
(彼が勤めていた会社では資格をとることで
昇進に良い影響があったのです。)
彼は朝早く誰よりも会社に早く行って
始業前の2時間、会社で勉強するそうです。
そして夜遅くまで働いて帰ってくる。
これを聞くと、無理してんだろうなぁ、
そんなに無理して長く続かないだろう……
みたいに思う人もいそうです。
実は、私も彼の話を聞きながら
上記のようにちょっぴり思っていました。
ところが彼は、
目を輝かせて私にこう言ったんです。
「俺、今1番楽しいんだよね。
俺さぁ高校時代まったく
勉強してなかったじゃん。
でも今、勉強することがすごく楽しくて、
しかもそれで仕事に生かすことができて、
仕事もめちゃくちゃ面白いんだよね」
彼のキラキラした目を見て
私はちょっと感動しました。
彼は、ハンデや、不利な条件を
言い訳にしていません。
むしろ、成長や前へ進むことに
フォーカスをしています。
そして何より、今を楽しんでいる……!
私は彼からとても、
刺激を受けました。
また、もう1人の友人は
世界有数の北欧の製薬会社で
管理職として働いていました。
なんと、前年には
社長賞を受賞したそうです。
彼も同じように仕事に対して
情熱を持って取り組んでいていました。
そして、同じように、
「今、仕事めっちゃ面白いんだよね……」
とつぶやていました。
行く前は憂鬱だった飲み会も、
彼らから話を聞いているうちに
充実した気持ちで楽しめていました。
彼らと高校時代、毎週、毎週
バンド練習をして
街や学校のイベントに出た事が懐かしく
そして今も前を向いて進んでいる彼らの姿に
とても良い影響受けていました。
このように、
自分の価値観やゴールを
明確にして進むことは大事です
なぜなら、それによって、
自然に価値観が合う人は
どこかで交わることができます。
価値観が近い人同士で
また波長があってくるのです。
逆に言うと、波長が合わない人は、
特に意識しなくても自然にまわりから
いなくなっていきます。
人生は……
その繰り返しではないでしょうか。
まとめると、
自分自身の”道”を見つけたとき、
それまでの人間関係を
捨てなければならいこともある
捨てるというと極端に聞こえるけど、
あながち極端でもない
なぜなら、捨てようと思わなくても、
必要な人間関係だけが残っていくから。
そういえば、”出家”という言葉も
ある意味、自身のスピリチュアリティを
優先するために家を
捨てるみたいなところがありますよね。
道を極めるとは、
価値観に従って生きる、
ということなのかもしれません。
編集後記
『関ジャム完全燃SHOW』
という番組をご存知ですか?
この番組は一言でいうと、
音楽マニアのための番組。
先日、この番組を
見ていました。
その回は、
”山下達郎”特集でした。
番組の中で、
最後に彼が受けた質問の答えに、
”ふるえ”ました。
基本的には音楽情報番組なので、
それほど感動する類の
番組ではありません。
しかし、彼の言葉は、
私の心を動かしました……
どんな言葉だったか?
ぜひあなたにも
共有したくなりました。
ご本人の肉声でなく、
文字情報なので、言葉の重みみたいなものは
伝わりきらないかもしません。
ちょっと長いけれど、
共有しますね。
こちらは、インタビュワーが
次の質問を山下達郎にしたときの回答です。
インタビュワーの質問:
「世界的に(山下達郎が)シティ・ポップと
呼ばれ人気になっているが、
海外でライブする可能性はあるのか?」
【山下達郎の返答】
*****************************************
ありません。
そんな暇があったら
もっとローカルタウンに行きますよ。
日本の。
基本的には僕らの世代が音楽を始めた時は
例えば田舎から東京へ出てきたら
みんなUターンするんです。
Uターン世代だから
自分の生まれ故郷へ帰って
結婚して子供産んで育てる。
僕の場合は、そういう人たちのために
音楽を作ってきた自覚があるので。
また、僕がいわゆる70年安保と言う
政治的な騒乱の時代に高校生で、
ちょっとそれをかじっちゃったので……
後は、音楽に溺れてドロップアウトして
大学途中で辞めてバンド作ったアレなので、
1970年の政治騒乱でドロップアウトした人たちは
ほとんど音楽をやってるんですよね。
で、1960年安保の世界は文字の世界で、
雑誌文化は、ほとんどその人たちが作ってる。
特に女性誌とか、その人たちが大きくなり、
老人雑誌しとか、そういうものを作っている。
子供雑誌もそうだし。
そういうところと同じで、僕らは
それと同じことを
音楽のメディアでやってきて、
僕らの音楽のムーブメントは、
本来音楽の世界に入らなくて良い連中が
音楽に参入してきたので、
それがユニークさを生んでいるんです。
同時に、そういう意味では僕がステージに立って
歌っていますけど、
僕の代わりに(ステージのすぐ近くの)
3列目に座っている人が僕の代わりに
ステージで歌っていたかもしれない。
聴衆と自分の距離がすごく近いんです。
だからそういう生活者としての
1つの共同意識みたいなのがあるんですよ。
だからそういう具合で
考えてやっていかないといけないので。
僕はそれだけを考えて
やってきたんですよ。
多分、同世代音楽って言うキャッチフレーズを
持ってますけれど、
自分と同じ世代のためにやっている。
だから自分たちが歳とったら
歳とったと言う、
いつまでもピーターパンみたいな
歌は作らないっていう、
そういう考え方でやってきてるので、
そういう人たちの
生活に奉仕する音楽……
ポップカルチャーとは基本的に
大衆への奉仕と
人間が生きることに対する肯定。
その上にアバンギャルドとか
そういうものがあるのであって、
だから僕がやるべき事は何かってのを
ずっと考えていると、
そういうことなので。
だから海外進出とか
そういう事は考えたことがない、
そんな暇があったら
もっとローカルタウンに行って
そういうところで
真面目に働いてる人たちのために
公演する。
それが僕の与えられた
役割だって思ってるんで。
じゃないと自分は
何のために音楽をやってるか……
ドロップアウトして
音楽家になったので、
だから、自分が音楽をやる意味は何かと
常に問いかけないと
音楽家としてのスタンスが曖昧になる、
それだけは嫌なので……
という意味で、
テレビ出ない、
本、書かない、
武道館やらない、
この3つでやってきたんです。
======================
いかがでしょう。
なんというか……
私たちはそれぞれのステージで
何かしらの生きる
意味を表現していますよね。
山下達郎の考え方は、
あるべき姿として、
理想の一つだなと思いました。
つまり、誰に、何を届けたいのか、
この生命を使って、時間を使って。
私自身が今回の言葉を忘れないためにも、
ここに記したいと思った次第です。
山下達郎といえば……
この曲でしょうか。
→ https://youtu.be/x8CgehqveLI
またメールします!
能登丈瑛(のとたけあき)

