すごい人

分らしく」

「自然体で……」

「ありのままの自分」

この10年でこんな言葉が
いたるところで
聞かれるようになりました。

その結果、次のような人が
増えているように感じます。

自分らしくなりたいと思っている人、

自然体で生きることが
大事だと思ってる人、

ありのままの自分がポイントだ
という価値観の人、

私も自分らしく、自然体で
ありのままの自分で生きられることは
とても大事なことだと思っています。

なぜなら、
自分らしくなく、
不自然なまま、
偽りの自分を生きているとか……

つらいですからね。

楽しいふりをしていても
実は楽しくなかったり、

満足しているふりをして、
実は不満足な感情を抑圧していたりすると、

今はやり過ごせても、
後々大きなツケを払ってしまうことに
なりかねません。

とはいえ、みながみな、
自分らしさや自然体で生きることを
大事に生きられているかというと……

残念ながら、そんなことには
なっていないようです。

では、 何が理由で
本当は自分らしくありたいのに、

自分らしくあれない
自然体でいられない
ありのままの自分で生きたいのに生きられない

ということが
起こってしまうのでしょう?

いろいろ原因はあると思います。

その上で、この13年くらいで、
私が付き合ってきた数千人の方々の様子を振り返ると
1つ大きな原因が浮かび上がります。

しかも、その原因は、
人によっては良かれと思って
選んでしまっている感じ方です。

多くの人にとっても、
一見、ポジティブです。

むしろ、場合によっては、
積極的に持つことを教えられる、
そんな考え方です。

それは何か……

それは、こちらです。

「凄い人への憧れ」

憧れ……?

「え? 能登さん、アコガレですよね?
あこがれ、、、憧れって良いことなんじゃないですか?」

そう思うかもしれません。

たしかに、何かに憧れることは
多くの場合、ポジティブな意味あいで
使われることが多いようです。

しかしながら、ここに大きな
ワナが潜んでいます。

それは、何か?

それは、

あなたではない
誰かになろうとしてしまうこと

です。

あの人みたいに成功したい
あの人みたいに技術がうまくなりたい
あの人みたいに頭が良くなりたい
あの人みたいに行動ができるようになりたい
あの人みたいに思考ができるようになりたい
あの人みたいに結果を出したい
あの人みたいな視点を持ちたい……

もし、あなたがそんなふうに、
自分では無い誰かを
目指してしまっていたなら……

その結果は、
どうなるか?

いつまでも、憧れの”その人”には
なれません。

しかも、本来の自分からは
どんどん遠ざかってしまうかもしれません。

そして、なぜか
人生が苦しいという
状態が待っています……

人によってはその苦しさは弱い感情で
気づくことができないかもしれません。

とはいえ、何かしらの
違和感を持ち続けてしまいます。

特にビジネス系の塾や講座、
オンラインサロンなどの参加者は、

構造的に、憧れの”誰か”になろうとする
傾向が強いようです。

必死で学んで
必死で質問して、
必死で自分を変えようとする……

それはそれでより良い自分になろうとする
素晴らしい試みの1つの形でしょう。

しかしながら、
私はさらに1つの大きな落とし穴が
あると思っています。

何かというと、

そもそも、

理想を実現するために
必ずしもすごい人の思考や行動を
取り入れる必要はない

ということ。

「えええ〜〜、能登さん、
それはありえないですよ。

今のままの私でとても
理想なんか実現できません!」

ありがとうございます。

そうおっしゃる気持ちも
よくわかります。

その上で、

すごい人のマネをしなくても、
経済的に豊かになったり
心理的に豊かになったり
時間的に豊かになったりする事は可能です。

そう言うとまた、

「えー、能登さん、でも、
現に私はいろんなセミナーや塾に参加してきました。

その上で、100%どこでも
成功している人の考え方や行動を真似しようと
教えられますよ。」

こんな声が聞こえてきそうです。

たしかに、表面だけ見ると、
成功している人や、憧れの人のマネをする事は
理にかなっています。

一見、効率的です。

ただ、間違いなく起こる事は、
永遠に埋まらない”無意識レベルの不足感”
残り続けるということです。

ある故人がこんなことを言っていました。

「他人はみんな
もう埋まっている」

たちの無意識には
「前提の法則」という法則があります。

表面上のことよりも、
陰に潜んでいる前提の方が
私たちの無意識により大きな影響を
もたらすという法則です。

今回の場合なら……

「すごい人、成功している人、
憧れている人のマネをしようとする」

無意識的に含んでいる
前提は、

「自分はまだ不足している」
「足りていない」
「補わなければいけない存在だ」

です。

だから、
どこか苦しい。
どこかしんどい。

どんなに昔に比べて
幸せになったかもとか、
成長したかもとか、
豊かになったかもと感じることができても

永遠に埋まらない不足感の正体です。

もちろん人生が無限にあるのであれば
10年や20年、不足感を抱えながら、
表面的な豊かさを手にすることも
1つの学びじゃないかなと思います。

ところが、

私たちの人生は
思うほど長くはありません。

今、この時期にしか経験できない
出来事もあるかもしれません。

ですから、本当に人生を豊かにしたいのであれば、
今この瞬間から不足感を卒業して、
欠乏から充足の価値観に移行することは
良いことだと思います。

そのためにまずは、
すごい人を目指すというパターンを
止める事は大事かもしれませんね。

【編集後記】

日、 皇居の周りを散歩していました。
横断歩道を渡ろうとすると
警備の人にこう呼び止められました。

「このあと、 上皇と上皇后が通るので、
少し待っていただけますか?

もしできれば手を振ってもらえると
お喜びになると思います。」

そう言われても、
私自身ははじめ、「ふーん」と
それほど気に留めていませんでした。

それから、右方から黒い車が来て、
目の前で止まり、窓が開きました。

そして、美智子上皇后が
ほほえみながらこちらに
手を振ってくれました……

私のまわりには一定数、
皇室に重きを置く右よりの価値観の人がいます。

私は中道なので、
特に上皇后が道を通ると聞いても
はじめはそれほど関心はありませんでした。

ところが、美智子上皇后に
実際に手をふっていただいた後、
しばらく、得体のしれない感覚が
私の中でうずまいていました。

言葉にできない
「感動」とも言える感覚でした。

なにか目に見えない
エネルギーを振りかけられたような
感覚です。

美智子上皇后は
もう65年以上もああやって、
国民に手を振り続けてきたわけです。

母なる微笑みとともに。

武道家が同じ技を何十年も練習するように
美智子上皇后も65年以上、
笑顔で国民に手をふるということを
やり続けてきました。

その結果、手をふるだけで
物理を超えたエネルギーを
放つまでに極められたのかもしれません。

とても不思議な体験でした。

美智子上皇后はこちらの方ですね。一応
https://drive.google.com/file/d/1f5Cu33rdGY7rDxeOtUbUWdMw2aTfZteX/view?usp=sharing

能登丈瑛(のとたけあき)公式ブログ
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